ふれあい広場(長谷霊園)ー青森県三戸郡南部町
利用1998年4月29日 ホンダXLV750R
駐車場から階段状に造成された墓地の中を登りつめた行き止りに参拝者休憩用の小さな吾妻屋がありましたので、その横にテントを張り野宿しました。
「南部町長谷霊園」
<青森県三戸郡南部町大字大向字長谷沢地内>
国道の脇に立っていた「ふれあい広場」の標識に従って進んでいくとそこは公園ではなく霊園でした。
5時55分、いつもより少し遅めの出発です。猪苗代湖モビレージを出て国道49号線を郡山に向かい、郡山から国道4号線に入って青森を目指して北へ向かいました。
これから猪苗代湖モビレージを出発します。
天候は晴れ。まずまずのツーリング日和になりそうです。
※実はこの日はテープレコーダーの調子が悪く、帰ってから再生してみるとデーターが全く録音されていませんでした。なので、すべて記憶を頼りに書いていますので情報量もかなり少なくなってしまいました。(;_;)
9時19分、走り続けて3時間ほどで仙台に到着しました。ここで給油(12.8ℓ)をしたあと更に北上を続けます。
「国道4号線」 <岩手県一関市萩荘>
国道4号線は東京の「日本橋」から青森市長島2丁目の「青い森公園前」とを結ぶ総延長839㎞の国内最長(実延長)の国道です。
一関市で休憩を兼ねて国道4号線の写真を撮り(↑)、その後すぐに平泉に着きました。金色堂で有名な中尊寺がすぐ近くなので、せっかくなので寄ってみることにしました。
「中尊寺」 天台宗・東北大本山
<岩手県西磐井郡平泉町平泉衣関202>
「新覆堂」
この中に金色堂(写真撮影禁止)が納められています。
平泉町で中尊寺の観光のあともひたすら国道4号線を北上し続けます。
16時05分、盛岡までやって来ました。時刻も夕方になりましたので明日に備えてここで二回目の給油(8.9ℓ)をしました。そろそろ今夜のねぐらを探さなくてはいけません。
岩手県の三戸町まで来たところでだいぶ陽も傾き辺りもかなり薄暗くなってきました。 泊まる場所を探しながら国道を走っていると道路わきに「ふれあい広場」の標識が見えました。公園なら野宿できそうなので国道を外れて標識に従ってしばらく走っていくと、何やら広い駐車場に着き当たりました。(写真↓は借物です。googl street view)
最初は公園かと思ってい期待して来たのですが、到着してみると公園らしい広場は無く、アスファルトの駐車場とその奥には墓地が広がっているだけでした。
国道の案内標識には「ふれあい広場」と有りましたが、後から調べてみると三戸市のHPでは「長谷霊園」となっていました。国道4号線から1km程はずれた三戸の山腹にある霊園です。
既に夕暮れも迫り辺りが薄暗くなりかけていましたので、今から他に野宿の場所をさがす時間的な余裕は有りません。仕方がないので意を決してここに泊まることにしました。
駐車場の大きな屋根の建物の横の道(↑写真右)を通り抜け、階段状に造成された墓地の中を上がっていくと、いちばん奥の突き当りに墓参者が休憩する柱と屋根だけの小さな吾妻屋が有りました。
辺りを見渡しても他に野宿の出来そうな適当な場所は見当たらないので、吾妻屋の横にテントを張ることにしました。
←18時30分
今からここにテントの設営をします。
今日の走行は約450kmでした。
奥に見えるのが先ほど通ってきた駐車場と建物です。この霊園は非常に広く、上ってきた道の両側には無数の墓石や卒塔婆が立ち並んでいました。
この日はあいにくの強風で、ビュービューという風の唸り声に混ざって卒塔婆のバタバタと軋む音や、裏山の竹藪がギシギシと擦れる音が一晩中テントの中に響き渡り、雰囲気(?)としては完璧でした。(^ ^;)
内心少しビクつきながら、それでもチョットだけ期待して何枚か辺りの写真を撮ってみましたが、現像した写真には特に怪しいものは何も映っていませんでした。(^_^) ↓長谷霊園から見た三戸町の夕暮れです。
← 深夜に「誰か」が訪れることもなく、翌朝は何事もなく無事に夜が明けました。!(^_^)!
以前にも山中でお墓のすぐ近くで野宿をしたことはありますが、それでもここほど不気味な雰囲気は漂っていませんでした。ここは完璧です!!
あまり何度も泊まりたい場所では有りませんので、普通の人(?)にはお勧め致しません。(^_^)
上の写真は「さすらい地蔵」の表紙の背景写真と同じもので、この時に撮ったものです。